こんにちは!
岡山県倉敷にある『美観堂』というお店で働いている、久保といいます。
『美観堂』は倉敷の観光地・美観地区にあるライフスタイルショップ。
「岡山・倉敷のほんとうにいいものを」をコンセプトに、私たちスタッフが実際に生産者さんにお会いし、「ほんとうによいなあ!」と思ったものを取り扱っています。
今日は、このページに辿り着いてくださり、ありがとうございます。
このページでは、『美観堂』とお付き合いのある『黄ニラ大使』についてご紹介しています。
インタビューも織り交ぜながら、深〜いところまでお話を伺っているので、ぜひ最後まで楽しんで読んでもらえれば嬉しいです。
『黄ニラ大使』とは?
『黄ニラ大使』とは、岡山の特産品「黄ニラ」を県内外に宣伝する、広報大使のような存在。
公式ではなく、岡山県で農家を営む、植田輝義(うえだてるよし)さんが、自ら名乗り活動されています。
主な活動内容は、「黄ニラ」の新メニュー開発や、飲食店へのPR、メディア出演など。
また、「黄ニラ」のイメージを纏うため、トレードマークの黄色いつなぎを着て活動されているんですよ。
(なんと、つなぎは全部で72着!)
植田輝義(うえだてるよし)さんとは?
『黄ニラ大使』を名乗る植田さんは、1974年12月生まれの46歳。
岡山の特産品である「黄ニラ」と「岡山マイルドパクチー(通称:岡パク)」を栽培されている農家さんです。
兵庫県出身ながら、奥様との出会い(その運命的なストーリーは後ほど!)をきっかけに、黄ニラ農家になることを決意。
大手鉄鋼会社を退職し、1999年に婿入り。
岡山県玉柏(たまがし)・牟佐地区に移住し、黄ニラ農家に就農されました。
“よそ者 “として、地元の農家の人と連携ができない時期を乗り越え、今や若手農家のリーダー的存在に。
トレードマークである黄色いつなぎの他に、靴・メガネ・リュック・マスク・バイクも黄色なんですよ!
そんな『黄ニラ大使』がつくる「黄ニラ」ですが、そもそもこのお野菜をご存知でしょうか?
(恥ずかしながら私は、昨年岡山に引っ越してきて初めて知りました…)
『黄ニラ』とは?
岡山県を代表する特産物・「黄ニラ」。
青ニラに比べて青くささがなく、シャキシャキとした歯ごたえと上品な甘みが特徴です。
その歴史は古く、岡山県にて栽培が始まったのは明治5年のこと。
その後、一時的に生産量が激減した時期もありましたが、昭和55年に露地での栽培方法が確立されると、飛躍的に発展。
現在では全国一位・約7割の生産量を岡山県が担っています。
特徴的なのはその色。
よくスーパーなどで見かける緑色のニラとは違い、「黄ニラ」は名前の通り、綺麗な黄色をまとっているんですよ。
「黄ニラ」が黄色い理由
実は、「黄ニラ」と「青ニラ」は同じ品種なんです。
では、なぜ「黄色いニラ」ができるのか。
それは、光合成をしているかどうか、に関わってきます。
そもそもニラの葉には、緑の色素と黄色の色素の2種類が含まれています。
そこに太陽光の力で光合成がされることで、緑の色素が増え、葉全体が緑色になるというメカニズム。
これにより、「青ニラ」は生まれます。
では、緑色にさせないためにはどうしたらいいのか…。
そう、日光を完全にシャットダウンし、光合成をさせないようにするのです。
2年かけて完成する「黄ニラ」
「黄ニラ」は2年の年月をかけて完成します。
1年目は、健康な「青ニラ」を育てることから。
この1年のうちは収穫せず、根にしっかりと養分を蓄えさせておきます。
そして2年目になると、「青ニラ」の葉を刈り取り、太陽光が当たらないように根に黒いシートを何重にも被せて、「黄ニラ」作りがスタート。
この栽培方法は「軟白栽培(なんぱくさいばい)」と呼ばれます。
根を覆うことと同時に、湿度管理にも気を配る必要があるため、「青ニラ」よりも格段に手間暇がかかるとのこと。
(湿度が高すぎると、美味しい「黄ニラ」ができないそう…)
収穫後は、お米のように天日干し。
天日干しをすることで、水気を切りながら、黄色を濃く。
同時に、緑色になるのを遅らせる効果があると言われています。
(日光を当てすぎると、光合成が始まり緑色になるため絶妙な加減が必要とのこと…!)
このように「青ニラ」に比べて、手間暇のかかる「黄ニラ」は岡山の高級食材。
ちなみに市場価格は、「青ニラ」の3〜4倍、また流通量にも限りがあるため、「幻のニラ」とも呼ばれているそうですよ。
実は、『黄ニラ大使』の植田さんは、脱サラ組。
約6年勤めた鉄鋼会社を辞めて、就農されました。
一体どのようなきっかけで、「黄ニラ農家」となられたのでしょうか?
そして、どのような思いを経て活動されているのでしょうか?
ここからは、以前開催されたイベントにて、弊社代表の犬養(わんさん)がインタビューした模様を織り交ぜながら、お届けいたします。
“黄ニラの神様が導いてくれた” 奥さまとの出会い
黄ニラ農家は、奥さまとの出会いがきっかけだったんですよね。
どういう流れでだったんですか?
きっかけは、前職での忘年会ですね。
これ、とっても不思議な話なんですけど…。
前職の鉄鋼会社があったのは、兵庫県・姫路市。
忘年会は毎年、一番下っ端だった植田さんが幹事を任されていたそうです。
例年は近隣の飲み屋やスナックが恒例の忘年会。
しかし、その年は「忘年会を岡山でやれ」という人が一人いたため、その声に従って岡山の会場を抑えました。
当時らしく、コンパニオンさんもお呼びしたそうですが、その方の素敵さに惹きこまれ、参加した全員が電話番号を聞くほど…!
そしてここに、奥さまに繋がるきっかけがありました。
忘年会から帰る車内にて、早速コンパニオンさんに電話をかける先輩たち。
しかし、ことごとく、撃沈。
どうやら違う番号を伝えられていたようで、「現在使われておりません…」という音声だけが虚しく聞こえてきました。
そして最後に、植田さんの番。
恐る恐る電話をかけると、なんと植田さんだけ繋がったそう!(歓喜)
忘年会の打ち合わせを重ねていたからこその人柄もあったのかもしれませんが、先輩方に文句を言われる中で、「今度みんなでお食事しましょう」と約束。
そして後日、岡山で開催された食事会にて、今の奥さまと出会われました。
驚くことに、当日は一言もお喋りをしなかったそうですが、「でもそれが逆に気になった」そうですよ。
実はこの話。
びっくりする裏話がありまして。
はい、なんですか…?
後から話を聞くと、誰も「忘年会を岡山でやれ」って言ってないっていうんですね。
僕が岡山でするって言うから、付いてきただけだと。
え…!
本当に、とても不思議で…。
僕は「黄ニラの神様が導いてくれたのかな」なんて思っています。
植田さんはなぜ、「黄ニラ」農家を継ごうと思ったのか
「黄ニラ」との出会いについてお伺いしたいです。
出会いは、植田さんがご結婚される前でしたっけ?
彼女とお付き合いをして、1年半が経ったころですね。
それまでなかなか、家に行かせてくれなくて…!
デートの帰り道、なかなか家まで送らせてくれなかった奥さま。
「送るよ」と言っても、いつも山の手前で降りて帰り、「俺はどんな人と付き合っているんだろう…?」と不安になってしまったこともあったそうです。
植田さんが、初めて奥さまのご自宅に伺ったのは、それから1年半後。
山の中に入って、お墓を抜けると、築100年ほどの家とボロい軽トラックが2台ありました。
彼女は、自分が「黄ニラ農家」の娘だと言うことを、知られたくなかったみたいです。
しかし、そこで植田さんは、ある景色と味に出会います。
黄ニラのお野菜が天日干しされていて、山と山の間から差し込む光が黄ニラを照らしていました。その景色にとても感動しました。
当時21歳だった植田さん。
都会暮らしだったこともあり、山や鳥の鳴き声・太陽の光を、とても新鮮に感じたと言います。
そしてお義母さんが「食べて行かれえ」と作ってくれた「黄ニラ」の味噌汁が美味しくて!
景色と味。この2つがきっかけで、農業の道に進みました。
植田さんはご長男ですよね。
婿養子に入られましたが、ご家族からの反対はなかったですか?
両親からの反対はありませんでしたが、沖縄のおばあちゃんが、ものすごく反対しました。
農村に入るっていうのは大変だし、長男だし、と。
僕に怒ったことのないおばあちゃんだったけれど、初めて怒られましたね。
でも、揺るがなかった、と。
どんな気持ちだったんですか?
彼女に惚れたのもあるし、「黄ニラ」にも惚れて、頭の中で「やるんだ!」とまっすぐになっていました。前職の給料や世間体を考えると若干勇気がいったのは確かです。
最終的には、親父に「一旗上げてこい!」と言われたのが後押しになりましたね。
ちなみに、向こうのご家族から「婿養子に入って欲しい」という条件はなかったそう。
しかし自分が継がないと、こんな素敵な農業が終わってしまう、それはもったいないと感じた植田さん。
「黄ニラ」と出会って1年後。
22歳の時に、ご自身の意思で婿養子に入ることを決められました。
トレードマークの「黄色いつなぎ」、実は最初は赤色だった!?
そこからちょうど20年が経つんですね。
農業、最初はやはり大変でしたか?
大変でした。
兵庫からいきなり岡山の農村に入ったのもあり、 “よそ者扱い” でしたね。
先ほども少し触れましたが、「黄ニラ」は明治5年には確認されていた古い歴史をもつ野菜。
そのような歴史ある野菜を、他県からきた髪の明るい(!)青年が扱うことに、村の人たちは少なからず抵抗感を抱いていたのでは、と振り返ります。
そこで植田さんは、一つの策に出ました。
覚えてもらうために、真っ赤なつなぎを着ました!
『ガンダム』のシャアが好きだったこと、そして負けない気持ちを込めての赤です。
よそ者として強く当たられていたのに、目立つ赤色にしたんですね(笑)
はい、赤色にしました!(笑)
2年くらい経って、地域のおばちゃんたちから「あんたあそこの赤い人だな!」と言ってもらえるようになりました。色で覚えてもらえた!と嬉しかったですね。
その後、あるおじさんとの出会いが、植田さんのトレードマークを生むことになります。
おじさんが、「お前、よう赤のつなぎ着とるな。うちに黄色のが2着あるからあげるわ。俺は着んから…」と(笑)
(笑)
そこから、トレードマークの黄色のつなぎが…?
着た瞬間、ビリビリ!っときて、「俺、黄ニラになろう!」と。
嫁には怒られましたが、その日の夜に赤いつなぎはゴミ箱に捨てて、黄色のつなぎ以外は絶対に着ないと決めたんです。背水の陣ですね。
『黄ニラ大使』のトレードマークは、一人のおじさまがきっかけとは驚きました。
それでも、体に電流が走ったというのだから、運命的な出会いだったのだろうと想像します。
そんな偶然から始まった「黄色のつなぎ」は、今や植田さんにとって欠かせないものに。
「黄色を着ると元気が出るんですよね、他の色じゃだめなんです」と語るように、この色からパワーをもらう植田さん。
また、テレビなどの出演を通して、「黄色いつなぎの人だ!」と声を掛けられることもあるそうですよ。(ちなみに、リュックも靴も、メガネもマスクも、バイクまで黄色…!)
勝手に背負った使命感が、いつしか本物に。
先ほど「背水の陣」という言葉がありました。
植田さんの意識の中で、“ 岡山を背負って発信する ” という思いは年々強くなっていますか?
はい、なっています。
実は、『黄ニラ大使』は任命された訳ではなくて、自称で始めました。
「岡山の黄ニラの良さを広めるぞ!」という勝手な使命感と、故郷である兵庫県太子町(たいしちょう)の名前も言いたいなという思いが背景にあったんですね。
勝手な使命感を背負って始めた活動ですが、続けるうちに、だんだんと本当の使命感になりました。
今はいろんな人と「黄ニラ」を広めるべく、一緒に歩いているような感覚です。
今は、農業を始める若者も増えていますよね。
例えば今、植田さんの目の前にそのような若者がいたら、どのように声をかけますか?
僕はウェルカムです!どんどんおいでという感じ。
ただ一つだけ、「ありがとう」や「ごめんなさい」など人としてすべきことはしてほしいな。
これから伸びる産業だと思うので、めちゃめちゃチャンスはあると思います。
「チャンスはある」とのことですが、“農業で稼ぐ” うえで植田さんが大事だと思うものって何でしょう?
作る作物と信念ですね。作物はお客様のニーズとマッチングできるものかどうか。
あとは、たとえ倒れても良いけれど、起き上がってなんとかやれる勇気があれば、いいと思います。
最後の質問に対する答えは、即答でした。
このスピードの早さに、植田さんがいかに信念を持って農業をされてきたのか、その姿が垣間見えた気がします。
「黄ニラ」オススメの食べ方をご紹介
黄ニラのお味噌汁
植田さんが「黄ニラ農家」になるきっかけを作ったお味噌汁。
私も頂きましたが、シャキシャキとした食感と上品な甘さが最高な逸品でした。
黄ニラのお浸し
麺つゆに浸したあとに、ごま油と白ごまをパラリ。
副菜としてはもちろん、お酒の肴としてもぴったりです…!
『黄ニラしょうゆ』を使ったTKG
手前味噌で恐縮ですが、『美観堂』には黄ニラを刻み漬け込んだ『黄ニラしょうゆ』というものがあります。
実は、植田さんとの出会いをきっかけに生まれた、こちらのお醤油。
卵かけごはんに掛けると絶品至極でして…!
出汁の美味さと「黄ニラ」の上品な風味が、おかわりをそそります。
美観地区にて「黄ニラ」を食せるお店
植田さんが栽培した「黄ニラ」。
美観地区では2件のお店さんに卸していらっしゃいます。
(2020年10月23日現在)
「自分で手に入れるのはなかなか…」という方は、ぜひ、お店で味わって見てくださいね!
馳走屋 菜乃花
約300年の蔵を利用した、落ち着いた雰囲気のお店。
店内では『黄ニラの天ぷら』や『黄ニラのだし巻き卵』などを頂くことができます。
●営業時間 17:00〜23:00 ●定休日 日曜日 ●住所とアクセス 〒710-0055 岡山県倉敷市阿知2-23-2 JR倉敷駅から徒歩9分 ●電話番号 050-3490-5146 ●公式ウェブサイト https://chisouyananohana.gorp.jp/
大正亭 本町店
『美観堂』のお隣にある、落ち着いた郷土料理のお店。
店内では『黄ニラの細巻き』や『黄ニラ玉子とじ定食』などを頂くことができますよ。
●営業時間 12:00〜18:00 ●定休日 不定休 ●住所とアクセス 〒710-0054 倉敷市本町2-14 JR倉敷駅から徒歩12分 ●電話番号 086-422-8100 ●公式ウェブサイト https://www.kurashiki.co.jp/taisyotei/
いかがでしたでしょうか。
さまざまな出会いを経て、「黄ニラ農家」となった植田さん。
勝手に背負った使命感はいまや本物となり、まいにち熱い想いを持って活動されています。
『美観堂』はこれからも、黄ニラ大使・植田さんを全力で応援してきます!